Reference Cards in The Library of Tail-Lagoon
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El Aleph
平凡社ライブラリー
1957
4-582-76549-1 /
★★★
(「不死の人」p.23 トログロディト族の一人(またはホメロス)について)
アルゴスと私は別々の宇宙に属している、知覚は同じなのだが、アルゴスは知覚したものを違った風に結び合わせ、それによってべつの物体を作り出している。いや、彼にとっては物体といえるようなものは存在しない、あるのは瞬間的な印象の連続的で目くるめくような組合せだけなのだと考えた。記憶も時間もない世界を思い浮かべ、名詞をもたない言語、非人称動詞、あるいは不変化の形容詞からなる言語の可能性を考えた。そうしているうちに日がたち、年月がたっていった。
(「不死の人」p.27)
彼らは無限の時間の中では誰にでもあらゆることが起こるということを知っていた。
(中略)
無限の状況と変化を伴う無限の時間を考えれば、『オデュッセイア』を一度も書かないということはありえない。すべての人間は誰でもない人間なのだ。たったひとりの不死の人間がいれば、その人はすべての人間である。
Memo: 最近、物理学者の中には真面目に多元宇宙を考えている者もいるようだが、もしあらゆる可能性の宇宙が存在し、量子的揺らぎのすべてが試されるのならば、我々限りある人生しか送らない人間にも、ボルヘスのいう不死の人間と同様のことが言えるのだ。ある可能性の人生においては、私は『オデュッセイア』を読む前に自らオデュッセイアと同様の物語を書き(あるいは夢想し)、リーマン予想を知る前にそれを既に解いてしまっているということも有り得るわけだ。なぜなら私は誰でもない人間であり、すべての人間でもあるからだ。
(「エンマ・ツンツ」p.80-81 エンマの復讐)
本人が自分でも信じることができずに行った行為を本当らしく語ることはできないし、今となってはエンマ・ツンツの記憶が拒否し、混同しているつかの間の混沌をもう一度甦らせることはできない。
(中略)
重大な出来事というのは時間の外にある。というのも、その中で直前の過去は未来から切り離されており、それらの出来事を形成している部分と何のつながりもないように思われるからである。
(「神の書き残された言葉」p.154)
私は人間の言語には全宇宙を包含しないような言葉は存在しないと考えた。たとえば、<虎>といえば、そこにはその虎を産み落とした虎たちや、その虎が貪り食った鹿や亀、鹿が食んだ牧草、牧草の母である大地、大地に光をもたらす空も含まれている。私はまた次のように考えた。神の言葉においては、どの単語もすべての事実の無限の連鎖を表すが、それは暗示的な形ではなく明示的で、しかも段階的ではなく瞬時にして伝わるはずである。そのうち、神の言葉という考え方が幼児的で冒瀆的であるように思えはじめた。神が口にすべきなのはたった一語だけで、その中にすべてが含まれていなければならない。神が口にする単語は宇宙よりも劣っていてはいけないし、全時間の総計より短くてもいけない、と考えた。聖なる言葉は一つの言語、あるいはその言語に含まれうるすべてに匹敵する。人間が考え出した<全体>、<世界>、<宇宙>といった言葉は、聖なる言葉の影、あるいは模造品でしかなく、野心的ではあるが、貧困なものでしかない。
(※引用文中<>で括った単語は、本来は傍点を付されていたものだが、便宜上このような表現に変えている。TL)